ジブリ婆さん
僕は母性というモノを、あまり信じていません。
母性を、子どもを慈しむ心で、ふわ~っとその子を包み込む膜、という風に定義してみます。確かに、ある時期の子どもにとって、自分の存在を全的に承認してもらうこと、世間のアレコレから守ってくれる優しい膜、というモノは必要かもしれません。
ですが、母性=膜は、実際には戦後くらいにできたもんなんじゃないかなーとか。
たとえば、江戸時代では、武家の子を教育するのは父親の役割でしたし、商人の子は早いうちから丁稚に出されたりして、母性が発揮される場などあまりありませんでした。わりに新しい時代に、「母性」は「作られた」、と考えます。
近代社会。父親が労働者として社会で働き、母親「のみ」が家庭を守るべきという、性別役割分担イデオロギー。イデオロギーを支える、根拠の一つとして。母親の育児の責任を補強する道具として。「母性」が生まれたのではないかと思うのです。
まあ、子どもがカワイイ、ってのは確かにそうなんですけどね。
さて、前置きが長くなりました。ジブリです。
ジブリにおいては、「老婆心」が決定的な役割を果たします。
それも、「よく知らないじーさん、ばーさん」が、です。
『千と千尋の神隠し』においては、湯婆婆が千尋が大人になっていく手助け(社会できっちり仕事をすること)をしています。
『となりのトトロ』では、メイが失踪した際、村の中で一番メイのことを心配して探していたのはカンタのばーちゃんです。
『耳をすませば』で、雫が初めて書いた物語を最初に見せたのは彼氏の誠司くんでなく、彼のじーちゃんでした。
じーさん、ばーさんにとって、よく知らない子を手助けした所で、なーんのメリットもないはずなんです。自分の老後をみてもらうわけでもないし、誰かから報酬があるわけでもない。それでも、見返りがなくとも、「老婆心」からその子を手助けしています。
この、「老婆心」くらいのマインドが、実はちょうど良いのかもしれません。
手助けを受ける側(千尋やメイや雫)にしても、じーちゃんばーちゃんの優しさに「ありがたい」と感じるところはあるでしょうが、負担にはなりません。見返りを期待されているわけではないのですから。
「老婆心」から受けた優しさは、自分の成長のために使ったり、自分より下の世代に対して返していけば良い。
母性という膜に守られる子育てより、老婆心というギフトに頼る子育ての方が、望ましい。ジブリ映画を観ているとそんな気分になります。
現在公開中の『思い出のマーニー』もまた、ばーちゃんが一つのキーワードではありますが、これは肉親のばーちゃんですから、ちょっとニュアンスは違うかもしれませんけれど。
老婆心、自分も心がけたいものです。