shimy-shimizuの日記

読書会を主催しております、シミーです。文化系のモノゴトを中心に、妄想を繰り広げております。

少女漫画以外のコト。

近ごろ、少女漫画少女漫画!とうるさかったので、少女漫画以外のことを書いとこうと思った。

■お食事について。

オサレランチとかで、お肉をまったく使わないヘルシーな菜食料理とか出すとする。
菜食主義の思想を下っていくと、輪廻転生までいく。
「おいらの祖母ちゃんがひょっとしたらこの豚ちゃんに転生してるかもしれない」という観念がある文化圏では、動物を食べることが人食いになってしまうので、菜食主義にならざるをえない。
あと、お肉を食べない人たちはあんまり量も食べない。
これは歴史的にみるとけっこー珍しい現象で、フランスの宮廷料理にしろ中国の満漢全席にしろ、エリートはとにかく量と種類を重視する。交易が制限されていたころは、遠くからたくさんの食べ物を持ってこれることがステータスだったからだ。
例外は日本の懐石料理。ここは次につなげよう。

■小さい。

日本は小さくすることに命をかけている。懐石料理もちょこんとしたそれぞれの料理に魂をこめる。千利休は小さい茶室の中に小宇宙をみた。トヨタたちは小型車で北米を席巻し、ソニーはウォークマンで世界の音楽視聴をかえた。

雛の調度。蓮の浮華のいと小さきを、池より取り上げたる、葵のいと小さき、なにもなにも、小さきものは、皆うつくし。―『枕草子

小さいモノが好きだ、というのは日本独自ではないだろうし、日本内でも大きいモノを好む思想もあるだろう。ここで挙げた例はあくまで恣意的だ。
それでもなお、ビッグデータだグローバルだ何だと言いつつ、その実は個人の嗜好に細かくニッチ分けされていく市場においては、こうした小ささ・細かさにフォーカスを当てる感性は、世界に先駆けた日本の先進性の一つかもしれない。

■日本の先進性

といえば、AVがその一つしてあげられる。某AV女優が中国でめっちゃフォローされてるとか、輸出産業の一つになってるかもしれないよね。ストリーミング再生の技術はエロ動画が生み出したと言っても過言ではないそうである。
『AV女優の社会学』という本があって、これによると彼女たちは常に「なんで可愛いのにAVなんてやってるの?」という視線・興味にさらされている。
その質問は当初から、ある程度の答えを期待された質問だ。「清楚に見えて実は…
」とかね。彼女たちもエンターテイナーなので、そうした期待された回答をしていくのだけども、それは一見して自由がないように見えるのだけども、実はそうした期待された回答を「饒舌に」彼女たちは話していることに気付く。自由意志はふわふわした無制限の場に現出するモノでなく、他者の視線にさらされることによって自己を確認し、他者に向けて語ることによって創り上げるものなのでは?

■人妻モノ

AV女優の話をしたので、ついでに人妻モノについて。
生物進化論風味の話をすると、オスは「自分の子孫を残さなきゃっ!」という本能が働くので、他のオスの手がついていると思われるメスをみると、興奮するらしい。あいつのアレをどかして俺のを残さなきゃ、とか思うらしい。ムクドリとか、そうらしい。
源氏物語』。プレイボーイの源氏が惚れたのは、人妻の(そして不美人の)空蝉である。「完成された女」に熱を上げるのは洋の東西を問わない。『初恋』から『椿姫』から『アンナ・カレーニナ』から、むんむんした青年たちは年上の姉ちゃんないし人妻を求める。
進化生物学と、人類学・心理学・文学の見地から突き詰めてみるとこの分野は面白いんじゃないかなーと考えていて、でもまだ不明点ばかりなので詳細はまたいつか。

■ジャズだとか。

売春つながりでいうと、ニューオーリンズの売春宿から広がっていったジャズを連想する。南北戦争が終結し、大規模プランテーションの労働力としてアフリカから渡ってきた黒人たちは、奴隷から解放され故郷の音楽を思い出そうとする。けれども時は過ぎすぎていて、言語も楽器も、すなわち欧州の“近代”とそれらはミックスせざるをえなかった。それがジャズだ。
まーこれも、「ロック」と同じで、定義はできない。イメージがあるだけだ。
なんこう色々あり、第二次大戦後、マイルス・デイヴィスが登場する。
彼は『マイル・ストーンズ』において<モード奏法>を取り入れ、それまでの欧州風合理主義、複雑なコード進行から逃れる手法を確立した。原点回帰だ。
彼の後半は、時代性もあったのだろう、ユングの<元型>に近いものを追及した。違う地域・違う文化圏にいるはずの人たちにも、共通するイメージがあったりする。それが<元型>だ。音楽においても人類共通のリズムがあるはずであるとか。これは70年代の「ハーモロディクス」に引き継がれ、ちょっと最近だと伊藤計劃虐殺器官』とかね。

■本の読み方

と、いろいろ書いてみたけれど、
読書会に参加してから、本の読み方が変わったなーと。
「あ、ここはネタになるだろうか」と実用性に着目するようになったし、ファシリやり始めてからはトーク・セッションのつなぎ目を創るために色んな知識をつけようと意識するようになった。
やっぱり、話を気持ちよくするには、一度その話を引き受けることが必要で、それは「うんうん」と傾聴するやり方もありだろうけれど、基礎っぽい知識だけ抑えといてフォローするやり方もありじゃね?と。

うーん。休みだからはしゃいでしまった。ねよ。