shimy-shimizuの日記

読書会を主催しております、シミーです。文化系のモノゴトを中心に、妄想を繰り広げております。

神のぞ知るセカイ

神のみぞ知るセカイ』をモリモリと17巻まで読んだ。
なるほど、愛のカタチはそれぞれであるな、と思った。
「愛してる。だから、結婚しよう」
「愛してる。だから、一緒に死のう」
近代は前者の「だから」を肯定し、自由恋愛のゴールとして結婚の制度を作った。それが個人の自由と共同体の不自由という矛盾の妥協点だった。本来であれば、後者の「だから」も否定できない。愛というコトバ自体には、多様な語義が包括されていて、どうとでも「だから」をつなげられる。ところが、近代社会はそれを一つの意味にしぼりこんだ。

「籍を入れるという法的手続きだけでなく、夫は職場へ、妻は家事育児へいそしむことという役割分担にもとづく『結婚=家庭』のイデオロギーが、私たちの知っている『愛』という言葉には食い込んでいる」 加藤秀一(社会学者)

『神のみぞ~』は、ギャルゲー界において「落とし神」と称えられる主人公が、ひょんな事情から現実の女の子を次々と恋に落としていく話である。主人公はそれぞれの女の子のパーソナリティにあわせ、ギャルゲー的にリアルの女の子を攻略していく。最近は、初期の頃よりも予定調和に行かないことが増えて面白い。

先のコメントとあわせるならば、女の子の愛し方、或いは、愛され方は、多様なのであって、別に貴賎の差はなく、ただ好みの差があるだけなのだということ。

まー僕は断然に栞ちゃん推しであるが。

コミュニケーション苦手系の女子を応援します。
「もう、また心にもないこと言っちゃった!何でいつも素直になれないの。。。私のバカバカ!」的な感じを支援します。外見と中身のギャップに勝る萌えはないと思うのですよお客さま。

発言には意識的にせよ無意識的にせよ、意図が加わる。
「今日はいい天気ですね。」は、
本日は快晴なり、という明らかなメッセージと、私はあなたと雑談する意思があります、という隠れたメッセージがある。
隠れたメッセージを読み取り、「明日も晴れるそうですね」(私もあなたと会話する準備がありますよ)と返すのが“社会性”もしくは“社交性”。

社会性や社交性は単に慣れである。
慣れを邪魔するのは、それまでの自分の習慣だ。たとえば過大な自意識。たとえば過小な自己評価。男子の場合は過大な自意識の場合が多く、女子の場合は過小な自己評価が多い傾向がある。まーしばしば逆パターンもあるのだけど。

『宮本から君へ』の宮本は自意識のゆえに社交性がなく出世はしなかったし、『島耕作』シリーズはもう何なのよというくらい自意識を表に出さなかった島が出世をしていった。

『君に届け』『好きっていいなよ。』『アオハライド』『隣の怪物くん』それぞれの漫画には「何も持ってない」と自信のない娘が登場し、恋人や周囲の友だちに関わるうちに自信をつけて成長していく。天真爛漫・とかく純粋(『高校デビュー』『僕等がいた』)なヒロインから、時代は変わっていくねぇ。

で、男子は基本的に自意識のカタマリなので、自信なさ気な女子を助けてあげたい的な願望があるような印象がある。光源氏にリチャード・ギア、谷崎『痴人の愛』。野暮ったい娘、もじもじした娘を社交界へ。けれどもかれども、たいていそれは男子の幻想であって、生の強い女子を見せつけられたとき『罪と罰』のスヴィドリガイロフみたく拳銃自殺したくなるようなショックを受ける。ガイロフはきっとラスコリ―ニコフの妹を儚く守ってあげなきゃ的存在ととらえていて、いや実は守るほど弱い存在じゃない現実が現前と眼前に広がって、びびったんじゃねーかなーと超個人的解釈。

物騒な世の中なので、暴漢から守る腕力的な守備力は求められているだろう。(徴兵制の國・韓流スターがジャニーズを喰いそうな勢いがあったことから)。

けれども男子諸賢、女子はかなり強い存在である。全面的に女の子を守りたいというのはたぶんおそらく君の肥大した自意識の発露だからあんまり表に出さぬがよいと存ずる。

と、これは賛否両論というか、シミズ分かってねーなピンボケ野郎がっ!と反論のありそうなカタチにて締め。