shimy-shimizuの日記

読書会を主催しております、シミーです。文化系のモノゴトを中心に、妄想を繰り広げております。

ベジータとロシア人

ベジータが悪いヤツだったころ、地球に攻めてきたことがあった。
当時、ベジータはサイヤ人の王子でありながら、フリーザ一味の端役として、適度な惑星を異星人に売るべく、奔走していた。
僕は、日露戦争時のロシアを連想した。
ロシアは西欧の一部でありながら、キリスト教文化圏としては脇であり(ごめん、ギリシア聖教会)、産業革命でも立ち遅れていた。西欧としてのプライドがありながら、ドイツやフランスに対するコンプレックスを抱えていた。現に皇帝のニコライ2世などは、そうしたコンプレックスからゲルマン系の将校を重用したりしていた。

ベジータは思ったはずである。いずれ植民地になるだけの下等民族どもに、栄光あるサイヤ人が負けるはずがない、と。
ロシア人は思ったはずである。日本という東洋の猿どもに、文明国の我々が負けるはずがない、と。

ただ、さすがベジータ、という処は、先兵のラディッツによるスカウターの情報を収集し、地球人が戦闘力を自在にコントロールできることを想定していたことにある。その戦闘力の変化分を想定しても、最悪自分が大猿に変身することまで含めれば、「勝てる」と思っていた。

一方、日露戦争時のロシア。戦の基本は「補給」である。戦地は日本海をはさんで遼東半島満州、旅順。陸続きで鉄道も敷設しているロシアはともかく、日本は制海権を失えば陸軍への補給がままならず、大陸の日本軍は孤立し敗戦の機運であった。よってロシアは北海からバルチック艦隊を送り込み、東郷平八郎率いる日本艦隊を撃破すれば戦の勝利は見えてきた。

ただ、どちらも見落としていた点は、相手の「成長度」である。
悟空たちはめっちゃ修行し、ベジータの想定を上回った。日本は明治維新後、軍隊の整備を急ぎ、その生真面目な国民性もあって艦隊の回航運動や練兵のレベルは世界でも指折りになっていた。
まーロシアに限っていえば、「北海から日本海に行くには超疲れるし船も壊れるし、おまけに日本海軍強いっぽいから、これもう終わってね?」と思う将軍も多かったらしいけれど、プライドのある皇帝やお付きの官僚たちの前にそういった意見は消えた。

情報を精査する際は、プライドとかバイアスだとかを除いて、きっちりかっちり分析した方がいーよ、という好例である。

もしくは、そうした過去の情報を見ずに、ともかくぶつかってみる、というのも手だけれど。フリーザの実績を始めから詳細に聴いていたら、もうナメック星ムリ無理と判断するのが普通であるところ、「ともかくやってみる」ということで、結果的に仲間の蘇生に成功した。(クリリンという犠牲はともなった)。

ある業界の巨人。それについて調べてみることは大事だ。でも、調べてみて情報を分析したあと、「あえてそれを見ない」で挑戦してみるってのも「アリ」なんじゃないかと。

ということを思った。

いやでもねー、僕ベジータ好きなのである。
地球人と触れ合って丸くなって以降、やたら息子(トランクス)自慢するベジータとか好きである。いっかいバビディの魔術にのっかり、悪に戻っちゃって地球人を殺しちゃったことに対して、こう、後悔してる感じとかね。誇り高いゆえに挫折の反動が大きく、誘惑があれば悪になってしまい、でもあとで悔恨するその姿は、『スラムダンク』の三井寿に通じるなんかこうあれがあるよ。『るろうに剣心』もそうだけれど、昔はわりに「後悔」をしてる主要キャラクターが多かったように思う。

僕は、反省はしても後悔はしない、というモットーではあるけれど、
それでもあの時こーしとけば、という体験は多々ある。
後悔は、「こんちくしょうっ!」ともやもやしながら、前に進むエネルギーだ。

まーそこで、前に進むエネルギーが向かう先を示してくれる「師」がいるとなおのこといい感じだよね。

安西先生とか、るろ剣でいうと巴殿の親父らしき人とかね。
ルフィも、エースを救えなかった後悔のあと、レイリーという師に学んだ。
ベジータにとって不幸だったのは、「師」がいなかったことではなかろーか。悟空も都度都度で、亀仙人、カリン様、神様、界王様、ヤードラット星人(瞬間移動教えてくれた人)など、たくさんの師を持った。だからたぶん、悟空は誰かに「教える」ことができるけれど、ベジータ流では「教えられないから、『俺になれ』」という言い方しかできないんじゃないかな。

難儀である。