shimy-shimizuの日記

読書会を主催しております、シミーです。文化系のモノゴトを中心に、妄想を繰り広げております。

サヴァイヴ・カップヌードル

カップヌードルのCMが、もう共感しすぎて、お前は俺か!という感じ。

「彼女の手料理が美味かった」
と、リア充が「イイネ!」を強要してくる問題。

俺は、本当にイイネと思ったときしか、イイネは押さねぇっ!

用語解説。

リア充=リアル(現実)が充実している人。彼氏・彼女がおり、友人も多く、BBQや海水浴やスノボー等への参加率が高い。

「イイネ!」問題=Facebook等にやたら写真投稿をしたり、良い感じの格言・ポエム等を掲載したりし、友人からの「イイネ!」を要求する行為。受け手側が、「よかねぇよ」と思う行為も発信者は流してしまうため、コミュニケーションの齟齬が近年問題化している。LINEの「既読問題」も同義。

いや、いいんすよ別に。投稿しても。
たとえ、先のCM事例で手料理頑張ったのが彼女で、彼氏は毛ほども努力をしていないのに成果だけ周囲に喧伝するようなケースであっても、いいんすよ別に。
ただ、僕はそうしたケースでは、「イイネ」と思わねぇ。
これはもう性分である。どうせ料理を載せるならば、解説を載せて欲しいのである。食材のこだわり、付け合わせの工夫、調理をいかに効率化するかの実践、盛り合わせのデザイン。いやそこまでなくてもいいよ。でもなんか手料理の「テーマ」くらいは言ってくれないと「イイネ」はできないね。

「人間は一生を通じて、自己愛を保ち続ける。ただしそれが健全に成熟する場合とそうでない場合がある。ひとえにそれは他者と安定的な関係を築けるか否かということにかかっている」H.コフート

なんかこう、リア充はともかく、似非リア充は他者と安定的な関係性を築けず、自己愛ばかりが強くなっているような気がしている。ときどき、ばりばりに化粧して浮き輪とか持って海をバックに撮った写真がFacebookに流れたりするじゃないですか。いや、入ろうよ、海。と思う。海水浴行って顔を水につけないって、パニック映画(主にサメや巨大タコが出てくるやつ)におけるボン・キュ・ボンのエキストラ女優じゃないんだからさ。「他者の目」を気にしすぎではあるまいか。

観てもらってるはずなのに、読んでもらってるはずなのに。
「イイネ」がないという、不安。
これは、分からないでもない。というか、分かる。特に僕はホント文章だけで「イイネ」もらってるようなもんだし。やっぱりあるとうれしい。
でも、少なからずネットという「公」に向けて発信するなら、自分に自信のあるコンテンツを載せていく方が楽しいんじゃない?
場の雰囲気とか、「こーゆう場面では楽しくあらねばならない」的なドラマツルギーに流されてない?それってしんどくない?

とか思う。

分かんないけれど、言葉とか伝える意思とかって、すり減る気がしている。
何かを人に伝えるたびに、なんかすり減っていく。それでも何とかやってられるのは、他人からのフィードバックがあるからだ。伝えることってすり減るけれども、逆に人から伝えてもらうことによって充足する。で、なんでもかんでも無意味に自分勝手に発信していくと、人からのフィードバックも相応のものになり、自分がすり減るばかりになる。
だから、なんかこう彼女の手料理の写真うpする前にさ、「何か付け加えたら面白くなるかな?」とか考えてみようじゃん。「ん~、☆2つ半です!」とか。そーすると、「じゃー残り☆半分は何だったんだよwww」とか突っ込めるから、なんか楽しいじゃない。

さて、余談である。

『Cawaii!』なる女性誌があるのだけれど、対象年齢がどーやら14歳~17歳くらいらしく、その雑誌のなかに「初めていく男子の部屋、見取り図」があって面白かった。「男子からの」愛されファッションを目指す同誌(教祖は浜崎あゆみ)はなんかこう、涙ぐましい努力に舵を切っていた。この見取り図にどれだけの汎用性があるかまったく不明である。

たしかこの雑誌だったか、「デート中は男子の左側からささやきかけよ。想像力を司る右脳にダイレクトに訴えかけるのだ」的な話があって、なんかサムライみたいだ、と思った。サムライは通常、左側に刀を差すので、上位の者が左側に立つ。斬られないように。草食系を狩るには左側から斬るわけである。ただ、例外もおり、新選組副長助勤・斎藤一は左利きのため、右側に刀をさしていた。ようするに肉食獣同士ではそれは決闘になってしまうのだ。

以上である。