shimy-shimizuの日記

読書会を主催しております、シミーです。文化系のモノゴトを中心に、妄想を繰り広げております。

ボケは勇気だ。ツッコミは愛だ。

という旨のことを、夜9時から2時間くらい話をしていた。

ボケる前には、それがウケるかはわからない。それでも体当たりでぶつかる勇気。あるいは、ツッコんでくれるだろうという信頼。分かりやすく、状況を説明する知性と、ボケという勇気ある行為に報いる愛としてのツッコミ。

なんでこう、笑いに対してちょっとストイックなのだろう。。。
スゴイ、ステキ、カッコいい、と言われるよりも、「面白い」と言ってもらえるのがうれしい。そんな性質を持つ40歳男性と25歳男子との会話でした。

・会の参加者さんが初めの方に言ったキーワードを、別の場面でうまく使えたとき。
・上手い言い回しのコトバが絶妙のタイミングで繰り出せたとき。
・「ベタ」を良い感じに利用して笑いがとれたとき。
・相手の言いたいことをピンポイントで把握し、的確な質問ができ、なおかつ最大公約数が楽しめる話の流れに持って行けたとき。

楽しい。

物質的なモノとは異なるけれど、笑いもまたモノ作りなのだと思う。ある所から話のネタが素材として提供される。素材を加工し、付加価値をつけて打ち返す。その連続によって面白い空間が作れる。カタチには残らない。記憶としても何をやっていたか残りづらい。刹那的で瞬間的な「場」。

で、だ。
自己中心的であると、笑いは生まれづらい。

たとえばカンニング竹山氏とか、キレ芸で通っているけれど、見てるとけっこー共演者に気を使っていて、謙虚である。急な振りにもキレ芸できっちり対応する。
逆に、素人の人で、「はい、噛んだ~」とかしょーもないこと言って、「オレ、面白いだろ?」的なもわもわした空気感を出すことほどもののあはれはないと思っていて、自分を滑稽な立ち位置に置く勇気もないくせにでしゃばんなとか偏狭なシミズ少年は考える。シミズは激怒した。

伊集院光は中学生の頃に、気づく。デブが運動会でヒーローになるにはどうするか。彼は履いていく。ピチピチの短パンをはいていく。短距離走の、スタート。ぱんっ!合図。びりーっん!破ける短パン。どっかーん!湧き上がる笑い。

笑いは落差だ。緊張が高まった瞬間に出される、あまりにもシュールで馬鹿バカしいほどのベタが、笑いを生んだ。かっこつけてる奴に笑いはできない。人ができないことを、僕はやりたい。面白いと言われる人に、わたしはなりたい。けれどもピチピチの短パンは履きたくない。そこまでの勇気はない。したがって笑いの素人。ゆえに笑いのアマチュア。だから本源的に、自己中心的な笑いをとろうとする人を否定はできない。しょせんはエゴの世界なのだ。しょせん、血塗られた道だ。

と、熱のある話をしていたわけですけれども。
年代を越え立場を越え境遇を越え、いろんな友だちができるのがオフ会の楽しさであります。オタクの楽しさでございます。まーオタクトークはTPOをわきまえないとしばしば失敗するのだけども、同志で一瞬で仲良くなる文化的財産でもあるわけで、使い所使い所。

よき出会いに感謝である。