shimy-shimizuの日記

読書会を主催しております、シミーです。文化系のモノゴトを中心に、妄想を繰り広げております。

とりあえず、一緒に飯を食おう

参考文献・資料

渡辺ペコ『にこたま』
・文化系トークラジオライフ 「料理の思想2013」
・フェリペ・フェルナンデス・アルメスト『食べる人類誌』
速水健朗『ラーメンと愛国』
よしながふみきのう何食べた?
荒川弘銀の匙

渡辺ペコの最新刊にして最終巻、『にこたま』を読む。結婚、出産、付き合う付き合わないの告白。それらは食べながら行われる。いっしょに飯を食べること。映画サマーウォーズにおいて侘助が戻ってきたときも、新しい婿候補がやってきたときも、大家族の総領たる大おばあちゃんは「一緒にご飯を食べよう。一緒にご飯を食べれば、それはもう家族だ」と言う。

確かに、人と会ったとき、記憶に残るのは一緒に飯を食べたことだ。
食べるって行為は自然界ではすげー無防備な状態だから、それを共有するってのは、その相手に対して心を許している証左なのかもしれない。

また。

「生きるために食べるのではなく、食べるために生きるべきだ。」

モリエール『病は気から』

銀の匙』で最近ブームになったとおり、食べることはすなわち生きることだ。そして食べるためには他の生命を、たとえベジタリアンであったとしても、殺さなきゃならない。近代的でスマートな社会は、生き物を殺すって過程をうま~く隠してきた。そのカウンターとして、近年、食に対する関心が増えている。

食には思想が伴う。「おふくろの味」とか、「家庭料理」とか、「男の料理」とか。社会背景も伴う。

たとえばポパイ。彼は「缶詰の」ほうれん草で強くなる。彼が活躍した1920年~30年のアメリカでは、加工食品産業がビッグビジネスへ成長し、缶詰の食料を売る店が急速に普及した時代だ。ポパイはそうした食の大量生産の勃興期におけるヒーローである。

ともあれそうした、食に関連する思想までも含めて、ある人と共有する体験。
他人と一緒に飯を食べること。
これは人生の中でもなかなかに楽しく、イイコトだと思う。

よしながふみきのう何食べた?』では、40歳になるゲイのカップルが飯を食べている。『美味しんぼ』時代とは違った、調理。素材に徹底的にこだわる料理ではない。近所のスーパーで安く仕入れてきた食材を、組み合わせの妙で絶妙に美味しそうに作り上げる。うまい飯を、気の置けない人と楽しむ。その味なり思想なりは記憶の隅にけっこー後まで残ってくるはずだ。

と、栄養が偏った食生活を送る小生が言っても、何にもならないけどもね。。。