shimy-shimizuの日記

読書会を主催しております、シミーです。文化系のモノゴトを中心に、妄想を繰り広げております。

何でもは知らないよ。知ってることだけ。

思うところをつらつら。

先週の土曜、マイミクさんが企画してくれた読書会に司会として参加。
例によってとても楽しかった、今更ながらありがとうございましたー。

何となく経験のある方は共通してくるだろうけれど、オフ会での司会は↓なことがあります。

・「好きなこと話してください」と放置すると、参加者の方が何を言っていいのか分からずしーんとしてしまう。仮に何か言ってくれる人がいるとしても、話を拾いきれず気まずい沈黙が流れる。

・すげー勢いでしゃべる人がおり、他の人が話せずぽかーん状態の独演会になる。

僕は3~4年前、現在の状態に輪をかけて阿呆だった。

ともかく自分の知っていることを披露したかったし、「少しでも話さなきゃ損だ!」とか思っていた。その頃に書いていた日記を読み返してみると、まあキモチワルイよね。それっぽい偉い感じの引用にあふれているし(今もだが…)、決めつけでギチギチになっているし、こう、「僕がっ僕がっ」というもわ~んとした空気感にあふれている。

で。いま、主催している読書会を引き継いだり、他の会で司会的なポジションを勧められたりした辺りからこれはイカンと感じはじめた。最初は、ダメだ全然向いてない、ともんもんしていた。とかく他の人の話を拾えないし展開できないし、無意味な気まずい沈黙作っちゃったりするし、焦って自分で訳分からない話を始めるし。けっこー恥かいてきてます。

けれども人間不思議なモノで、最初は「無理だ…」とやっていたコトも続けると自分の意外な適性が見えてくる。ここ半年くらいはホント無駄にオフ会の司会に自信がついているので、楽しい。自分のファシリに自信がつくと不思議なモノで、というかご縁に恵まれて、毎回毎度、会はすげー盛り上がるしかつ楽しい(と、自己評価している)。一番の変化点としては、僕が僕自身にあんまり期待しなくなったこと。その代り、参加者さんから絶対に面白い話が引き出せる/盛り上がるはずだっていう点には希望を持ってるということ。

承認願望を他人に最初から求めるのは、しんどい。認めてっ!という欲求を他人へ押し付けると、自分はどんどん暑苦しい人間になり、人はぼや~んと離れていく。…ということに無自覚である時期はえてしてしんどいのだけど、たいがいそーゆう時にも良縁はたくさんあるもんで、良縁に対して感謝と謙虚は忘れちゃいけんよなーと感じている。「すっかり大人らしくなって…」と3年くらいのスパンで読書会友だちの方からよく言われます。年上の方々には僕のあの頃(そして現在)のもやもや~っとした自意識過剰がよく見えていたのだと思います。お恥ずかしい限り。

とかく、今は会の司会において、「入口を広く」と「決めつけをしない」、或いは「何がでるか分からないライヴ感を楽しむ」を重視してます。けっこーコアな趣味を持つ人が集まったりもするので、ざっくりとでも分かりにくい用語の説明や、あるモノゴトの背景説明を挟むようにしてる。なかなか言語化できないけれど、即席で場をまわす技術と、「これは踏み込んじゃダメだな」って領域に対する気配りと、「ここがポイントかな」と要点をつかむ感性と。皆様のおかげ様で、徐々にでも身についてきてるんじゃないかな~と思ってます。っざす!

ファシリとか、そーゆう感じのコトに興味がある方。
他の分野においてもとかくそうでしょうけれど、とにかく恥をかくといいと思います。恥は独りでかけるもんじゃなく、他人と世間と関わったときにかくもんです。多く恥をかくこと=他人とすげー関わったってこと。なので、経験値たまるし、経験値たまればそれだけレベル上がるし、レベル上がったときに見える風景はきっと今と全然違う。

何でもは知りませぬが、恥かく勇気や蛮勇がなかったら、こーゆう楽しさは知らなかったろうなーということは知っています。