shimy-shimizuの日記

読書会を主催しております、シミーです。文化系のモノゴトを中心に、妄想を繰り広げております。

努力が認められるのは義務教育まで。

とは、おかざき真理『サプリ』のなかの一説。

この漫画は広告代理店に勤める女子たちのあれこれを描いている。男子もそうだけれど、特に女子は結婚をしていないとバリバリ働いていても「かわいそう」のレッテルを貼られがちだ。さらに某新聞の調査によると、全男子の7割くらいは自分より下(それは年齢であったり役職であったり学歴であったり)の娘を結婚相手として選びたい願望があるらしく(もちろん程度の差はあるし調査自体も万能ではないが)。

仮に上記のような状況だとすれば、働けば働くほど選択肢がなくなっていき、しかも日本の企業のほとんどは男系社会なのであまりデキすぎると「振り出しにもどる」(本書ではかつて広告賞を受賞した平野女史がそうである)。

女子が旧来型の大企業で総合職で出世していこうとなるとある程度の男系化・肉食化が避けえないのだけれど、しかし特に大きい企業には「オヤジ」が存在する。「オヤジ」は中身はどうあれ女子は女子として使ったりする。本書の例でいうと、怒りまくってる取引先の社長に『女の子』をぶつける、とか。男子がいくと話自体が壊れる場合でも、何も知らない女子が必死にお願いしてたら人情としてその話は壊せない場合がある。そこを「オヤジ」は利用する、とか。…と、そうして男子と女子の間でぶらぶらしておると、最終的に上に残るのは「完成された女」(田中ミズホ女史)ということなのかしら。なんかこう清濁併せのむ感じである。

一方で男子を考える。

各種お仕事漫画は数あれど、とりあえず『島耕作シリーズ』を参照してみる。

島耕作は、能力がある、というのが大前提である。取締役として、島が中国に転勤になったことがある。その時、島は中国の現状とこれからの展望を的確に分析し、その後の初芝(松下電器がモデル)の取るべき道を示した。分析力とか論理性とか発想力とか、とかく努力が必要な場面は確かに確実にある。問題はその先。

島は、女子にモテる。有力者とコネのある女子とにゃんにゃんする。場合によっては玄関とかでにゃんにゃんする。女子を使って出世したといえば天皇家に娘を送りまくった藤原氏一族かにゃんにゃんしまくった島耕作か、という感じである。

とまあその辺は置いといて、ここでの主題は努力以外に必要なモノがそこには確実に存在する、ということ。まー企業においては、というか人付き合いにおいては、「あいつが好きか・嫌いか」である。島に能力があることで上から好かれる場合もあるし、逆に能力があるために妬まれて嫌われる場合もある。漫画なのでとりあえず後者の場合は切り捨てられ、最終的に島は能力・人格まで上に認められて社長になる。努力は必要ながら、そこには人の縁と運の要素も、入ってきているのである。

ということをもんやり考えていたので、『3月のライオン』9巻すげーよかったよっ!土橋九段。島田八段をタコ殴りにするほどの「努力」。努力、それ自体が認められるのは義務教育までではあれど(「よくがんばりました。はなまる。」)、それは自分が努力をしなくいい、の理由にはならんと。まー大人になっていく楽しさは、努力の方向を自分で決められることと、失敗とか反省とかして自分のできることとか器とかが何となく分かってくること、にあると思う。

ところで。自分の器が分かんないヒマな奴が、他人と比較しなきゃ自分の位置が分からないもんで、いじめとかやっちゃうんじゃなかろうか。これは『3月のライオン』中の課題の一つでもあるけれど、めちゃくちゃ難しい。いじめた側をガチで怒っても、「何キレてんの?うぜー」という枠で囲っちゃうので、ともかく徹底的に「話を聴く・話をする」必要がある。一方でそういった対応はいじめられた側及び正義“漢”のある外野からは非難されがちだ。「なんであいつらが報いを受けないんだ?」。またいじめられた側のケアも困難である。重松清の小説に、いじめた側が謝罪の作文をいじめられた側に宛てて書いてみんなの前で読む、的な場面があったと思うけれど、これなんか最悪の対応だよね。いじめは自尊心の否定だ。その体験をまざまざと振り替えさせられたうえ、衆人の前にさらされ、心無い謝罪で「なかったこと」にさせられる。じゃーどういう解決策が?と問われればケースバイケースすぎて何とも答えようがないのだけども。

うーん。とりとめもない。