shimy-shimizuの日記

読書会を主催しております、シミーです。文化系のモノゴトを中心に、妄想を繰り広げております。

聴く力って、そんなに大事かい?

アラサーちゃん (無修正)』に、「男女ともにモテるためには、まず、相手の話を聴くこと!」という雑誌の忠告を真に受け、男子も女子も会話せず「………」が続く。というオチの回があった。ですよね~、と思った。

「みんな、自分の話をしたいものである」という前提が、そもそも違う。
たとえば、みなさんは思春期に、おとんやおかんに、「学校で何かあった?ねえ?ねえ?」とか質問され、「うぜぇ…」という時期はなかったろうか?
その時、「あたしの話を聴いてくれてうれしい!」と感じただろうか?
僕は、申し訳ないが、「面倒くせぇ…」と思っていた。

「聞き役」に対しても、同じような面倒くささを感じる時がある。
「人の話を積極的に聴いて『あげる』、気遣いができるオレorあたし!」的なオーラ。そのオーラの、もわっとした感じ。そんなもわっとした感じはいらない。それだったら、家にいる、陽気なネズミのぬいぐるみか、熱帯魚にでも話しかける。

「聴く力を、磨こう!」

ちゃんとしたコミュニケーションをとろうとする努力を放棄し、ただ、「黙って・相槌うって・質問をときどきすれば良い」なーんて甘い考えを正当化する方便として、「聴く力」を使っているのだとしたら、うん、そりゃあ、モテまい。

もー1つ。『アラサーちゃん (無修正)』に、「女慣れしてない男の合コンあるある」ネタがあった。

・男同士で内輪ネタで盛り上がり、女子からの「なんの話~?」との質問待ち。
・「なんの話~?」からの、「自分伝説」語り。
・「自分伝説」を話し、「距離が縮まった!」との勘違いからの、「下ネタ」
・「下ネタ」からの、内輪話&自分伝説(性体験編)

まああれですね、フィクション(ネタ)であるコトを前提で言うと、
「ナメてるとしか思えない」ですね。
こんな合コンなら、「こっちから願い下げですわっ!」

基本ベースはフェミニストなシミズですが、ことお笑いに関しては「男の仕事」だと思っちょります。女芸人さんが軒並み「男っぽく」なってしまうのも、大衆の娯楽である落語家が男ばっかりであるのも、たぶん何か理由があるのでしょう。
女性が、面白い話ができないとか、ギャグが冴えないとか、そーゆう訳じゃないんです。久保ミツロウとか檀蜜とか小島慶子とか小保方さんとか確かに面白いし。

ただ、お笑いという作業には、「相手を落としたり、自分を落としたり」、ある種の捨身の姿勢がいる時があるんで、「みんな、仲良く、共感力」を重視するタイプの女子たちには、向かないんじゃないかな~と個人的に感じています。

という視点からすると、先の合コンの男連中は、「自分を高める」という、まったくもって無駄な自尊感情を守るためにもじもじしている訳で、お笑いという男の仕事を放棄しているのであります。まったくもってナメています。

なーんてコトを言うと、「じゃあ、あんたは面白い話ができるんだな、してみろよ~」という面倒くさいフリが来るわけでありますが、アレですよね、このフリには「愛」がないですよね。
「もしもスベッたならば、おいらがフォローしてやる」という、愛が。
「面白い話ができる自信のある者だけが、人に『面白い話をしろよ~』とフリなさい」(お笑い黙示録 ペンネからの手紙)

…うん?あれ?自分、芸人だっけ?違うよね。。。