慰安婦の件
この記事の影響からか、
1996年には国連のクマラスワミ報告で「戦時における軍事的性奴隷制問題」として取り上げられ、
2007年にはアメリカ議会から、いわゆる「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」が出され、
端的にいえば、「日本は女性差別国家なんだから死ぬれ」と世界から断罪された。
これを日本の「国辱」とし、世間は激しく朝日をたたいた。
確かに、検証がずさんな記事を載せた朝日は、プロとしていかがなものかと思う。
だけども、朝日のエラーは、
「従軍慰安婦は、存在しなかった」
というコトで片付くのだろうか。
それは、「こいつ犯罪者かもしれないけど、証拠がない。よって不起訴」
というだけの話で、本当はそいつが「やっていたかもしれない。」
そんで、個人を裁く裁判所のような機構は国家を越えてはなかなかないから、
とりあえず「やっていたかどうか。」は、当事者が調べないといけない。
当事者がちゃんと調べたかどーかは、国家の責任感の問題であって、
その責任感がある方が、当然ながら信頼される。
日本の戦争犯罪を語る際のフォーマットとしては、
「かつて日本軍は、我々にこんなひどいことをしました。」
と発言する人たちを、「証拠がない」と退けるスタイルであって、
「もしかしたら、日本もそんなことやっていたかもしれない。」という疑念のもと、自ら徹底的に調査することはせず、
門戸開放で忙しかった中国と日中平和条約を結び、漢江の奇跡で忙しかった韓国と基本条約を結び、金王朝独裁体制を無視し続けることで、
「フタをした。」
要は、今起きてる敗戦国日本の戦争犯罪の掘り返しは、「フタをした。」ことのツケでもある。中途半端な調査しかしてないから、中国や韓国の外交戦略に利用される。
それに加え、「なんで結婚しねーの?産まねーの?」と
ドヤ顔で公的な場で発言しちゃう政治家が現存している状況で、
「日本は、いまも昔も、女性差別はしていません!」
と言って、誰が信じるよ?っつー話である。
僕はなにも、「日本人であることを恥じろ」と言っているわけではなく、
しかして、「日本人として誇れ」と主張しているわけでもない。
そうしたフィルター・偏見をとりあえず脇に置いて、
もうちょっとロジカルに。過去と未来の話をしようぜ、って言いたい。